あるダムの履歴書:二風谷ダム(1)

http://www.youtube.com/watch?v=4HxpQz8GZpM


「開発と文化」 講師 貝澤耕一氏


 人がやってくるという事は、森を壊すという事なんです。森を壊して畑にして食料増産を計った。森を壊すというと何が起きるかというと、災害が起きるんです。森というのは雨が降れば水を落ち葉の下に蓄え、その中では植物が育ち微生物が育ちその排泄物が水に溶けて川に流れる。川に流れると、水生植物や魚、昆虫を育ててくれる。海に流れれば海草や、魚や海の動物を育ててくれる。そうだから北海道は自然の幸が多かったのです。森がなくなっていくと、どうなるのでしょう。北海道では昔ほど海の幸が取れなくなっています。ただ鮭だけは、人工増殖で昔より取れるようになった。おかげで皆さんも安く食べられるようになったと思います。つい、3年前くらいからですね。人工増殖ができたからです。

 しかし、未だに近海にシシャモも入ってこない、ニシンもはいってこない。これは単に、森を壊してしまったからなのです。そのように、一つの体系が壊してしまったら人間が生きていけないということを、アイヌは知っていたんです。生物が生きていく、地球上のものが生きていくには、一つの「まんまるい輪」でなくてはいけないんです。そのまんまるい輪を人間は平気で壊していってる。そもそも自分たちが力が強いかのように、何でも支配できるかのように...。それをはっきり証明しているのが、北海道だと思います。


http://www.design.kyushu-u.ac.jp/~tomotari/kaizawa.html


よくわからんが、ずっとずっと昔には、ヨーロッパもただの土地だったんだろう、

 
わしらのところと同じようにな。だがそれは、誰も思い出せないほど遠い昔のこと

じゃ。
土地はすべて所有地に変わってしまった。人は所有地を持たなければ、まともな暮らしもできなくなってしまった。誰もが、これこれの土地を所有しているという紙切れを持っている者こそが、その土地の上で起こるすべてのことを支配できると信じていたからじゃ。

海を渡ってきた人々もそう信じ、自分たちの所有地を手に入れようとした。

わしらはそのことを知らなかった。どういう意味なのかもわからなかった。わしらがともに生きていた土地を、連中は所有しようとした。

これは重要なことだと思うんだが.あんたたちの宗教は土地から生まれたものではない。持ち運びができるものなんじゃ。わしらの宗教が土地とともにあると言っても、あんたたちにはわからなかった。あんたたちの宗教は杯や一切れのパンの中にあって、箱に入れて運ぶことができた。聖職者は、どんな場所でも神聖な場所にすることができた。だがわしらにとって神聖なのは、自分たちがいる場所そのものだった。神聖な出来事が起こったのも、精霊が語りかけてくるのもそこだったのだから。

           

これだけはわかってもらわなくてはならん。わしらにとって、土地は生きていた。

 
語りかけてきていた。わしらは大地を母と呼んだ。

大地はわしらに腹を立てると、食物をくれなかった。わしらが分け合うことをしなければ、厳しい冬や虫害を見舞った。わしらは大地のためによい行いをしなければならなかったし、大地が正しいと思う生き方をしなければならなかった。大地はそこに住むすべての者の母であり、すべての者は兄弟であり姉妹だった。熊も木々も植物もバッファローも。みんなわしらの兄弟姉妹だった。母なる大地は、わしらが兄妹を正しく扱わなければ腹を立て、敬意をもって接すれば喜んだ。

白人にとって、土地は生きた存在ではなかった。舞台のようなもので、そこでなにかを作ったり、なにかを起こしたりする場所だった。土や木々や水が重要なものだとは思っても、兄弟姉妹とは思っていなかった。人間が生きるのを助けてくれる存在だと考えていた。そして人間は、土地に果実を実らせる存在だと。そう神に教えられていた。


「忘れられた道」 ケント・ナーバーン


文明が崩壊するまで


イースター島は気候が冷涼で乾燥した火山島であり、ほかの陸地から隔絶されている。同書によると、島の土壌はやせていて、植物が育ちにくい。そのため島民が薪(まき)を手に入れるために木を切ったり、農耕のために森を切り開いたりした後、森は再生しなかった。木材が手に入りにくくなり、漁に使うカヌーが作れなくなると、島の人々は鳥を食べた。土が浸食されて農耕に適した土地が減り、農産物の収穫も減る。やがて内戦に突入し、食人に手を染めていく……。イースター島の文明崩壊は、資源の乱開発が社会の崩壊を招いた明確な事例だと、ダイアモンドは書いている。

http://special.nikkeibp.co.jp/ts/article/ac0b/139205/201207/index02.html


ニューギニアは200年前まではほぼ石器時代の暮らしぶりだったのである。そこへ鉄の斧、マッチ、医薬品、衣服、飲料、傘などが「積み荷」されてきた。ニューギニア人はそれらの価値を理解し、便利だと感じた。ヤリはそう言った。とすると、いったい自分たちは何をしてきたのか。かつて営々と築き上げてきた生活と価値観の独自性を何によって説明できるのか。それを教えてほしい。そういう質問だ。
 ダイアモンドはこの問いに答えられなかったのだと言う。とくに、便利なものを持ちこむことが、その土地を植民地にすることとほとんど同義になることを、まったく説明できなかった。

http://1000ya.isis.ne.jp/1361.html


アメリカ先住民族の土地ナバホで起きていること:「どこも家畜の死体だらけなんだ」

深刻な水不足の主原因はウランによる汚染か、当局の強引な井戸の閉鎖なのか

http://119110.seesaa.net/article/368209448.html


[予言の書] 漂流教室の描く未来にだんだん近づいてきた件 [人類滅亡]


http://matome.naver.jp/odai/2134908587866186701?&page=1



うつ病の症状が進行してきて、時々、発作が起きる。

そんな時、祈るしかない。

少し症状が、落ち着くと気功をしたりでやり過ごす。


病に侵され崩壊する自身と世界が重なって思えたり

世界中の先住民のことなどに思いを馳せ

一日一日をようやくの思いで過ごす。


そんな日々の中で、北海道の二風谷ダムのドキュメントを眺めつつ、おそらく人類は、決定的な破局へと進むしかないのだろうかと思う。


我々の病状は、昔読んだケント・ナーバーンが上手に書いている。

数少ないアイヌの人々も同じ主張をする。

「やっぱり、日本人は悪い・・・どう考えても、北海道をこれだけ禿山にしてしまったのだもの・・・」

そんあ、現代文明という死の病は、グローバル化を合言葉に世界を駆け巡る。

自分自身の病も文明の毒が原因だとしか言いようが無い。

解毒の為に先住民の叡智に触れつつ、ようやく生を繋ぐ。

生が耐えがたい苦しみに過ぎないなら死んだ方が、マシかも?

などと半ば思いつつ・・・

自然を金に換える破壊的な錬金術を止める魔法は、あるだろうか?

里山を見て、マンションが何棟建つか?という思考から我々はどうしたら抜け出せるだろうか?


そんなことを思いつつ、ケント・ナーバーンの言葉を読むのでありました。



あんたたちは庭のまわりに塀をめぐらし、人を雇って地面を測らせ、隣の塀が1インチでも自分の方に入ってきていないか確かめようとする。

なにかを見返りにもらえるのでなければ、なにも与えようとはしない。すべてが金で動いているんじゃ。

権力のある連中は、そう思っていることを隠そうともしない。なにか頼まれると、本当に必要なのかも訊かずにこう言うんじゃ。『見返りになにがもらえるのかな?』と」

「でもそれがアメリカなんですよ、ダン」私は言った。

彼は節くれだったこぶしを振り上げた。

「わかっとるさ。わしらの仲間にも、そういう風に動くようになってきた者が大勢
おる。みんなとは言わんが、かなりの数じゃ。そのために、すべてを分かち合う昔ながらのインディアンのやり方がすたれてしまっている。

わしらはすべてが天からの授かりものだと信じているから、分かち合うのが当然なんじゃ。気前の良さは、勇気の次に大切なんじゃよ。

だが、わしらのそんな考え方も、無理やり変えられつつある。わしらだって白人と同じで、いい人間が報われてしかるべきだと思っている。

だが、善良な人々が、なにかを手に入れることより、与えることのほうを考えていた時代のほうが、ずっとよかったと思わんかね?

わしらは、人を貧富によって測ったりはせん。測り方も知らん。いい時代にはみんな豊かだし、悪い時代にはみんな貧しかった。わしらは、どう分かち合うかで人を評価する」


「忘れられた道」 ケント・ナーバーン


(-∧-)合掌・・・